「優勝以外は意味がない」
私がそれを感じたのは日本選手権(1997年 110mH)で優勝した時だ。それまでは2年連続2位であったが、優勝した時に「2位以下は予選落ちと一緒だな・・・」と思いました。もちろんそれは優勝を狙っている時の話だ。
スポーツの価値は人それぞれ違うから面白味がある。しかしやるからにはどんなレベルであろうと「勝つ」ことにこだわりたいものです。
「勝つ」とは何か・・・。
大会で「勝つ」ことか。ライバルに「勝つ」ことか。様々な「勝つ」があると思うが、最大で最も身近なライバルは「自分」であろう。このやっかいな「自分」に勝ってこそスポーツをやる上で、そして人間として生きる価値があるのではなかろうか。
ライバル「自分様」をどこまで鍛えて、どこまで見つめて、どこまでコントロールしてという微細な努力をして始めて、栄光が訪れると思う。
さて今回の武田選手の「K-1参戦」は彼にとってどのような価値のあるものだったのか。
私が彼から「K-1出るかも・・・」と聞いたのは昨年の12月下旬だった。もちろん以前からオファーはあったものの、彼の誠実で一本気な性格から「キック一筋」ということで断っていたと思う。
人生にはものすごい決断をしなければならない時が必ずある。私は「陸上一筋」でこだわってきたが、25歳の時に「なんとしても死ぬまでに五輪に出たい」という思いから「ボブスレー挑戦」という未知の世界へ飛び込んだ。その決断は僕の人生を大きく変えてくれたものであった。
話は戻るが、武田選手から「K-1」の話を聞いた時、「絶対やった方がいいよ」と私は即答しました。もちろんそれは彼にとっての良くも悪くも「転機」が訪れることは間違いがないからだ。「悪い転機」を恐れて挑戦しないのは真のアスリートではない。「宝くじは買わなきゃ当たらない」と一緒である。
僕が彼に求めたかった転機とは。
この一年、彼の成績は2勝2敗2分けである。しかも王座奪回を目指した昨年の5/26の敗戦からはパッとしていない。彼にとっての最大の目標は「世界タイトル奪取」である。しかし最近の戦いっぷりを見ている限りではその目標はかなり遠い気がする。(僕がこんなことを言える立場ではないが)
得意の「超合筋パンチ」が出るどころか相手とお見合いで3分が過ぎていく。相手のパンチはあの「鋼のヨロイ」が守っている。しかし攻めは中途半端。最大の防御は攻めではないのか?
今の彼には「キック」以外の格闘技で何かを得てこないことには何も始まらないのである。僕が日本選手権を勝った時はボブスレーを始めた年だ。比べるレベルは違うが、他のスポーツをやることによって今まで忘れていた「なにか」を思い出すことが出来る。
今回の「K−1参戦」そして「準優勝」。この二つのことから武田選手は何を得ただろうか。失ったものは大きいと思う。「伝説のムエタイ王者」が同じ日本選手に負けた。彼が今後もし「世界王者」を奪回したとしても穏やかではない。
しかし得たものはそれより大きいと思う。この大会を迎えるにあたっては一ヶ月しか準備期間はなかった。それでも前回チャンピオンの魔裟斗選手と判定まで持ち込んだ。とは言え勝敗は歴然であった。戦い終わった後の顔のダメージが全然違う。魔裟斗選手は「K−1」においての目標はあくまで「世界」だ。武田選手の目標は「魔裟斗選手」だった。様々な要素を踏まえて今回の結果はなるべくしてなったものだと思う。
スポーツは勝って得るものより、負けて得るものの方が遥かに多い。人間負けなければ強くなれない。でも武田選手の負けはもう二度と見たくない。
僕が応援に行っている試合は一回しか勝っていない。もしかしたら僕が疫病神なのかも・・・
色々な意味で彼も吹っ切れたと思う。突然「K−1参戦」となったその日から「優勝候補」にあげられ、マスコミに取り上げられ、あたかも勝利は「武田」みたいな扱いを受けてきたので大きなプレッシャーだったと思う。負けた悔しさもあると思うが、終わった安堵感も同じくらいあると思う。まちがいなく彼は「なにか」を得ているはずである。
もう迷うものはないはずだ。あとは「世界タイトル奪取」のみだ。残り少ない選手生命。命かけて「キックボクシング」に打ち込んでくれることでしょう。
僕も残り少ない競技人生。「K−1」に参戦する日もそう遠くはない気がする。
おとうさん・おかあさん。ごめんなさい・・・